お花畑満開
アマゾンの奥地には、他の文化から隔絶して独自の生活をしているヤノマミという部族がいます。独特な宗教観、世界観を持つ部族です。ヤノマミの女性は妊娠 し、出産のときを迎えると、森に入っていき自力で出産をするそうです。そうして、嬰児を産み落とすと、母親がその子は精霊か人間の子か決定を下します。人 間の子は母親とともに村に戻ってきます。精霊と決まれば、バナナの葉にくるみシロアリの巣に入れてシロアリに食べさせてしまうのだそうです。しばらくし て、シロアリが嬰児を食べ尽くしたころ、母親はそのシロアリの巣に火を放ち、煙とともに空に帰すといわれています。これほどまでに、彼らと我々の倫理観、 世界観には隔たりがあります。
 しかし、注目すべきは、このことに関する彼らの説明です。
 彼らはこう言いました。「嬰児は精霊か人間かのどちらかに生まれる。人間ならば村に帰ってくる。精霊ならば、天に帰る。あの妊婦は一人で帰ってきた。生まれ落ちたのは精霊だったのである。」
 おわかりでしょうか。これは、生まれ落ちた子が精霊であったことの「論証」なのです。ここでは、三段論法に加えて、対偶まで用いた論証が使われています。(中略)。論理はそれが形式化されているかどうかにかからわず、文化を超えて共通しているのです。
Tumblrは基本的に、ウェブで見つけた好きな画像や動画、テキストなど引用(リブログ)することで、自分だけのコレクションを作成するサービスだ。
大きな特徴が「ダッシュボード」と呼ばれる機能で、ここには、フォローしているほかのユーザーが引用したコンテンツが次々と流れてくる、いわば、旬のコンテンツの一大集積場となっていて、その中から面白そうなものを「つまみ食い」するような感覚で、自分のTumblrに引用していけばいい。
あまりの面白さに、一日中ダッシュボードを眺めてはひたすらリブログを繰り返す、重度のTumblr中毒者まで出てきているほどだ。

大学の講義で、コンサルの社長さんから聞いた話

・日本は技術のある国と言われているが、世界から見ればそうでもない

・日本は自動車は作れるが、ジャンボジェットやスペースシャトルは作れない

・車の総部品数は数万、ジャンボジェットやスペースシャトルは数百万

・大量の部品を、破綻なく組上げることができるシステムを構築できるかが問題

・欧米企業がそれをできるのは、やはり論理的思考の歴史と素地があるからかもしれない

(via konishiroku)
2008-09-13 (via gkojay) (via takaakik) (via plasticdreams) (via fukumatsu) (via kyohei1989) (via aerogenerator) (via theemitter) (via yaruo)

大学の講義で、コンサルの社長さんから聞いた話

・日本は技術のある国と言われているが、世界から見ればそうでもない

・日本は自動車は作れるが、ジャンボジェットやスペースシャトルは作れない

・車の総部品数は数万、ジャンボジェットやスペースシャトルは数百万

・大量の部品を、破綻なく組上げることができるシステムを構築できるかが問題

・欧米企業がそれをできるのは、やはり論理的思考の歴史と素地があるからかもしれない

(via konishiroku)
2008-09-13 (via gkojay) (via takaakik) (via plasticdreams) (via fukumatsu) (via kyohei1989) (via aerogenerator) (via theemitter) (via yaruo)
残念ながら世の中はずっと先へ行っていて、gmailやhotmailで大統領暗殺の謀議とかをしていると、全て蓄積されて米国諜報機関がアクセスできるようになっている。Protect Act 2007が生きていた今年2月頃までは令状なしで覗き放題だったし、今もFISAに基づいて令状があれば盗聴できる。これはテロ対策とか幅広い米国国益が対象だから、明示的な犯罪予告だけでなく、あらゆるテロの謀議・準備が監視対象となっている。
pants1010:

[drawr] つぐじ - 2011-05-21 01:25:55

世の中では不況ばかりクローズアップされていますが、台風が来ているのだからお天気に文句をいっても始まりません。会社も個人もこの際自ら強くなるしかありませんし、強くなるチャンスでもあります。

今日は景気と関係なく弱り始めた会社の兆候を述べたいと思います。自分の経験とさまざまな企業のコンサルティングを通じて感じたことですので独断と偏見に満ちているかもしれません。お許しください。

①会議が多くなる
不思議なことに会社が弱くなるとやたらと会議が増えます。部長や役員のスケジュールを覗いてみると会議で大半の時間を占めています。その分、必ず部下を巻き込んでいるので会議室が足りない状況が続きます。末期症状になると企業なのに「○○○委員会」とか「○○○協議会」のような役所的な会議組織までが出来上がります。会っても議論しない、議論しても実行しない、実行しても検証しない、検証しても責任を取らない。会議の多い組織は絶対責任に辿り着かないのです。

②同じやり方が3ヶ月以上続く
朝礼や発表会など、どこの会社にも定期的な行事があります。その定期的な行事が同じやり方で3ヶ月以上続く会社はだいたい弱っています。もともと行事の目的は何らかの経営課題を解決するためにあります。3ヶ月もすればだいたいボトルネックが移動しているはずです。それにも関わらず以前の課題のための形を取り続けることは怠慢の始まりです。

③取締役が営業しない
取締役クラスの偉い人が営業しない会社に良い会社はありません。役員やそれに該当するリーダーが営業にいくことに以下のような重大な意義があります。
・顧客を知る。事業を知る。変化を知る。現場を知る。
・社員がトップの動きをみてモチベーションが上がる。
以上の2点が大事にされていない会社は弱まります。

④美男美女が増える
偏見かもしれませんが、このような傾向を感じてなりません。昔有名なベンチャー投資家が「美人の秘書を持つベンチャー経営者はダメ」という「偏見」を持っていましたが、堀江さんなどの「風雲児」をみて見事にそれは当たりました。たぶん見栄や格好を気にすると組織が甘くなると思います。
(To be continued. 再来週は残りの半分を披露します。)

―例えば東京都がリキテンスタインの「ヘアリボンの少女」を購入したとき「マンガみたいだ」と批判され大きな騒動となりました。現代アートは支持されていないと思います。

一般の人々が考えている「芸術とはこんなものだ」という観念があって、その範囲内で運営されているときはその芸術について理解していなくても何も言いません。しかしマンガを拡大した絵になると、これは彼らの芸術の範疇とは違います。税金の使い道には自分にも発言権が当然あり、芸術であるから発言権があるというのではなくて納税者として発言権があると思うのでしょう。

現代ではあらゆるところでこうした問題は起りうるし、起っているでしょう。例えば文化政策全般が仕分けの対象になります。日本では演劇でも音楽でも美術でも税金の補助があって、例えば交響楽団は補助金なしには存続できません。つまるところ仕分け対象となった時最終的に価値観の問題になると思いますね。自分たちの生きている世界にとって文化とはどれだけの意味があるのか、という問題に。

ルイ14世は多額の費用をひとつは戦争に、もうひとつにはベルサイユ城建造などの文化政策に支出しました。当時文化的には先進国はイタリアで、ルイ14世は後進国フランスのプレスティージを上げようとします。彼の思い描くフランスの在り方において、少なくとも半分の重要性を文化政策は持っていたと言えます。それと同じ事が現代の文化政策についても言えるはずです。予算額のうえで半分の重要性があると言うつもりはありませんが、同じような考え方で判断することが重要なんじゃないかと思います。

例えば国際的な場面で他の人と接した場合、尊敬されるか尊敬されないかということは、もちろんその人の個人的な資質に依りますが、文化の力というのが非常に大きな意味を持っていると思います。経済力だけだと馬鹿にされることもあります。その時尊敬される要因は文化を措いて他にないと僕は思っています。国家予算の半分を使えとは言いませんが、自分が理解できない、自分の生活感覚とずれているから仕分けの対象にしてしまおう、というのは愚かな選択だと思います。

―例えば東京都がリキテンスタインの「ヘアリボンの少女」を購入したとき「マンガみたいだ」と批判され大きな騒動となりました。現代アートは支持されていないと思います。

一般の人々が考えている「芸術とはこんなものだ」という観念があって、その範囲内で運営されているときはその芸術について理解していなくても何も言いません。しかしマンガを拡大した絵になると、これは彼らの芸術の範疇とは違います。税金の使い道には自分にも発言権が当然あり、芸術であるから発言権があるというのではなくて納税者として発言権があると思うのでしょう。

現代ではあらゆるところでこうした問題は起りうるし、起っているでしょう。例えば文化政策全般が仕分けの対象になります。日本では演劇でも音楽でも美術でも税金の補助があって、例えば交響楽団は補助金なしには存続できません。つまるところ仕分け対象となった時最終的に価値観の問題になると思いますね。自分たちの生きている世界にとって文化とはどれだけの意味があるのか、という問題に。

ルイ14世は多額の費用をひとつは戦争に、もうひとつにはベルサイユ城建造などの文化政策に支出しました。当時文化的には先進国はイタリアで、ルイ14世は後進国フランスのプレスティージを上げようとします。彼の思い描くフランスの在り方において、少なくとも半分の重要性を文化政策は持っていたと言えます。それと同じ事が現代の文化政策についても言えるはずです。予算額のうえで半分の重要性があると言うつもりはありませんが、同じような考え方で判断することが重要なんじゃないかと思います。

例えば国際的な場面で他の人と接した場合、尊敬されるか尊敬されないかということは、もちろんその人の個人的な資質に依りますが、文化の力というのが非常に大きな意味を持っていると思います。経済力だけだと馬鹿にされることもあります。その時尊敬される要因は文化を措いて他にないと僕は思っています。国家予算の半分を使えとは言いませんが、自分が理解できない、自分の生活感覚とずれているから仕分けの対象にしてしまおう、というのは愚かな選択だと思います。

医者「詳細がわからないと、原因が分からないので、投薬なんてできません。」
患者「それを調べてくれるのが医者でしょう?」
医者「調べる事はできますが、ちゃんと協力してください」
患者「協力しますよ…」
医者「じゃあ最初から。なんで今回腹痛になったかを…」
患者「…めんどくせえ…」



エンジニア「はー、何なんだ、あの医者は」
営業「あ、吉田さん戻ってきた。さっきボクがサービスに不具合みつけまして、メールしましたので対応してください」
エンジニア「これか…ふむ…。ちょっとちょっと、こんな適当なレポートじゃ直せないよ、ちゃんと症状とかかいてよ」